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2012年7月25日 (水)

数字のイメージ

誰にでもあると思うんだが、個人的に、子供のころから数字について特定のイメージをもっている。

自分の場合、1から12までは、少しうねうねと並んでいて、13からは垂直に上の方に伸びていく。そこから20まで、やや暗めの色味がかかっていて、20からはすこし明るい背景色になって、30まで上っていく。そして、31からは90度曲がり、水平に伸びていくのだ。

年齢など、1〜100あたりのレベルの数をかぞえるとき、必ずこの配列図をイメージする。

こういう数字のイメージも手伝ってか、なんだか30歳までと30歳からでは歳のとりかたが大きく違う気がする。
10歳と24歳では、エライ違いだ。
でも30歳と44歳では、そんなに違わない。
(生物学的に当たり前ではあるが)

30代を過ぎた人たちには、20代以下の間でずっと感じていた、年齢差によって「まったく違う人間」と感じる感覚が失われてしまう。
「先の時代を生きたにすぎない同じ人間」、という、むしろ当たり前であるべきなのかもしれない感覚。

30過ぎた最近は親にすらそういう感情を抱く。

前回の話題に関していえば、同窓会を開けばいつでも大学生に戻れるという学生時代マジックが多分に影響していることも確かだ。
が、それにしても、子供時代の大人を見ていた感覚(数字のイメージ)が自分に残っているために、すごく年上を身近に感じることに不思議な違和を感じているのかもしれない。

数字のイメージ、個人差がどれだけあるのかがちょっと気になる。


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2012年7月23日 (月)

学生時代Magic

ひょんなことから、大学時代のバンドサークルの大先輩に立て続けにお会いするイベントが続いている。

もう30年くらい前に現役だった先輩なので、50歳代前後になる方だ。
僕の世代からすれば、いつも付き合いのある上下の世代と比べて、とんでもなく上の、雲より上の星々に位置するくらいの大大大先輩なのだ。気持ち的には。

その1回目。やはり最初会ったときは少し緊張した。が、しばらくすると、体育会系でないし、気楽に話せた。

で、先日、2回目の会合があった。前回大先輩だーと思った方(Aさん)が、今回はさらなる先輩(Bさん)を連れてきてしゃべってくれたのだが、今回はそのAさんに少し後輩っぽさがみえたのが新鮮だった。

そして先輩どうしで「あいつは今はどうしてる、あの頃はどうだった」と思い出話に花が咲く。
ああだった、こうだったと楽しそうに思い出話をする姿を見ていると、不思議な感覚だった。
僕らがOBとなって最近やっている会話と何も変わらない。

僕が生まれた頃に大学生だった、自分の親世代の人が、僕らが同窓で集まったときにそうなるのと同じように、大学生に戻ってはしゃいでいる。

そう思ったら急に、偉大なる大先輩が身近に思えた。
およそ僕が知りえもしない様々な過去を話していたとしても、それをふむふむとずっと聞いていたい気がした。

誰もかれも当たり前だが20歳のときは20歳で、見かけの暦や流行りが違うだけで、同じような心持ちで同じように青春世界にいたのだ。

自分が大学生の頃に学生運動が盛んだったら、戦時中だったら、というのもなんとなく想像しやすくなった気がした。
つまり、現代の自分の学生時代と変わらない。
どの時代の人々も、異質でもなんでもない、同じ空気を吸って生きている。
のかもしれない。

そういえば、先輩方が学生のころ演奏していた音楽と僕らが演奏している音楽が(特にジャズ・フュージョン・ロック・ファンクあたりについて)大して変わっていないのは、ちょっと興味深かった。僕らの好きな音楽は止まったのか、みたいな話も少しした。


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2012年7月18日 (水)

手紙を書いた

さいきん、手紙を書いた。

友人の結婚の報告を手紙でもらったので、そのお返しに。
日頃メールしか打たなくなって久しいが、久々の手書きであった。

いつもとちがって今回は一文字一文字、刻むように言葉を記していかなければならない。
修正テープも使えないし、字そのものの美しさにも気を配らないといけない。
一言一言に気持ちを入れて書いているうちに、心が澄み切って晴れわたる感覚があった。
人格が正の方向に矯正されていったような気もした。

書き終わって、送り先の友人に感謝した。

上京したときに一度、母親から手紙が来たことがある。便箋セットとともに。

「たまには手紙というのも、いいものですよ」

とあって、そうかと思ったものの、それから一度も書いたことはなかった。
その言葉の意味を体感するまでに、12年かかってしまった。
ごめん母上。

一言一言を大事にすること、一文字一文字に気持ちを込めること。
こういうことを忘れて、とくに20代の頃、なにを考えて生きてきたのか。
愚かしいところが相当あったことは否めない。

両親とは最近会ったばかりだけど、もらった便箋で、実家に手紙書いてみようかな。


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2012年7月10日 (火)

和風ステーキの日



なかなか丸一日休みと言う日は少ないん
だけど、日曜は久しぶりに何もせず、ゆっくりした。

ゆっくりついでに今日はステーキを食べようとなぜか思い立ち、狂ったようにスーパーへ。

ここで悩む。片方は和牛1100円、もう片方は400円。さいきん外食が多い気がするが、今日はちょっと贅沢したい気も。。

折衷案で両方買って半分ずつ食べることに。

食べて…値段の差に納得。1100円はとろける!!冷めてもうまい!400円も健闘するが、冷めるとガムみたい。これはがんばってお金ためていい方食べたくなるよ。

値段相応。

自由化されても誇り高く生き残れる日本畜産業の底力をみた。