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2011年6月21日 (火)

後輩(ルーキーボカロP)と会食

 晴れ。ものすごく暑い。午前中作業したあと、@kusegumi氏とランチ。

 大学のサークルの3つ下の後輩で、そのころはベースを弾いていた。ボーマスでいきなりあいさつされて、ボカロPになったことを知る。DTM歴まだ1年経たないくらいだが、すでに楽曲をニコ動上に発表している、、、彼の曲たちはこちら

 一人で全てを完結させ、世界中に発信できるという魅力にとりつかれたという。将来の野望、展望を聞いたけど、とても興味深いものだった。

 作曲家がまた一人増えた。国民総クリエイター時代。

2011年6月12日 (日)

ボーマスに行った

 ボカロPサークル「s10rw」さんについていって、ボーマスに初参加。枠が少ない中、入れてもらって本当に感謝してます。

 広大な売り場の中にどやどやとお客さんが入ってくる。やはりものすごい熱気でCDがどんどこなくなっていく。行列。いろんな音楽が軒を連ね、それぞれに聴いてくれる人がいる。こんなに音楽を作る楽しさが広がっているなんて、なんだか理想郷を見てるようだ。誰もが発信できるようになって、この先どんな世の中になるんだろう。

 現在絶賛ハードル越え作業中につき、前半しかいられなかったが、できるだけ売り子として働いた。

 帰った。ハードル、越えられず。

 というわけで、whooさんの新作「世界のはじまり」にボーカルで一曲参加させてもらいました。こちらで通販もやっています。ジャケもとっても良いです。


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 奥のほうのCDは10日Pさんの新譜なんだけれども、今回の企画でゲームを制作したんだとか。zipファイルを開けるためのパスワードを探すゲーム。昔は作ったとしても周りの友人に遊んでもらうのが関の山だったが、いまや世界中の人と共有できる。面白い企画だなと思った。こんなことまで個人でやれちゃうとは。

2011年6月 1日 (水)

ボカロPさん新作で一曲歌いました

 ボーカロイドPであるwhooさんの新作に一曲歌で参加させてもらいました。「はばたき」という曲です。声かけてくれてありがとう。

 ほかにもやなぎなぎさん、uminekoさん、ちびたさん、acane_madderさん、そしてFLEET佐藤さんが参加しています。今聴いてますが良い歌、曲ばかりですよ。。。ボーマス16(同人即売会)での限定販売みたいです。

 こちらでクロスフェードが聴けます。



 自分用にキー高めに設定してもらったようです。カラオケで必ず#2しないときつくて歌えないので、逆に助かりましたですよ。サビでけっこうパワーの必要な歌だったので、体操しながら歌いました(^^ゞCDのジャケットもいい。完成品を手に取るのが楽しみです!

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2011年1月16日 (日)

[遅刻]ボーマスに行ってみた

 池袋にボーマスを見に行く。前日遅かったために寝落ちしてしまい、行った頃には即売会は終り、s10rwの面々も片付けを始めていた。・・・イヤーこんな状態で「よお」とか声かけるのはずかしーなーと柱の陰で一瞬逡巡する。佐藤さんも先日アップした「サイファ」の完全手作りCD-Rを売っていて、120枚完売だそうな。

 その後、打ち上げにも参加させてもらう。世界の山ちゃんにゆらゆらと歩いて行きながら、大学のサークル時代みたいだなーと思い出す。ただ山ちゃんに着いて、みんなで自作のちゃんとプレスされてフィルム包装されたCDを渡しあう、という光景は新鮮だった。いろんな人といろいろ話せて楽しかった。

2011年1月14日 (金)

FLEETの新曲について

 FLEET佐藤くんが新曲を公開した。しかも、ボーカロイドという形で。ここにはいつも彼の曲にあるはずの彼自身の歌声がない。バンド界隈で活動していた彼が、ニコニコに魅せられ、ボカロに可能性を見出し、UST座談会を開き、そしてこの流れ。この曲が彼の抱いたボカロシーンとバンドシーンとの間になにがあるのかというテーマについての彼のミュージシャンとしての決定的な一解答である。詞はオードリーシューズの(今はPの立場に鎮座する)林英樹くん。現代の絶対的な価値観を失って誰もがネット社会の中を漂流している状況の中で生まれたボカロという現象を、美しい言葉で表現している。

 先月のある深夜、佐藤さんからスカイプのチャットで話しかけられた。「曲ができたから聴いて欲しい」と、今回の曲「Cipher サイファ」のデモを聴かせてくれた。聴いてみると思いっきり佐藤節の入った曲で、もともと彼の曲が好きな自分にとっては当然ドハマリだったが、その真中から聞こえてくる声が初音ミクだったので、なるほどやはり来ましたか!と思った。USTが終わって、ミュージシャンたちが何かを論じるに当たって、やっぱり最後は音楽を作るのが一番しっくり来るのかなということはおぼろげながら思ってはいたんだが、それを早くも実現させてしまった彼のボカロへの愛情と情熱には敬服するばかりである。それに加えて、佐藤さんと特別申し合わせたというわけでもなく全く無関係に、林くんのほうも初音ミクの現象などなどを眺めながら「サイファ=ゼロ、暗号、暗号を解くカギ」というワードを温めていたらしい。そんな中、佐藤くんが彼に詞を依頼する、、、という運命的な展開だったようだ。この詞がまた、初音ミクに全く新しい一人格をもたらしたことで、この曲をさらに高次なものに仕立てている。なんてインテリなミク・・・

 動画アップから一夜明けた午前現在、動画を見ていると、賞賛のコメントに混じって、違和感を表明する声も少なからず見られる。そこが非常に興味深い。いわく「商業臭い」・・・確かに動画の下に近日リリースされる新譜がリンク貼ってあるわけだから、プロモーションの一環として取れないわけではない。そしてこの完成度は一朝一夕にはなしえないプロの音楽家のなせるわざであり(実際彼はアニメに曲をつけたり企業サイトに曲をつけたりしている)、完全宅録ゆえのアマチュア的な手作り感を一切排除した出来なので、その「玄人っぽさ」ゆえにアマチュアリズムからは敵視されやすいというのもよく分かる。「ミクに歌わせる意味があるの?」という声もあった。

 そういう反響を起こしたということそれ自体が、今のボカロシーンの姿を示唆しているし、この曲が成しとげた功績そのものでもある。ひとつ注を入れておくと、予算がないのにオール宅録で2ヶ月もかけて、日々の仕事のかたわら一人でこんなことをやろうだなんて普通誰も思わないし、他方、お金だけをかけてプロを雇いまくった「プロモーション」だったとしたらこんなに響くものは出来ませんよ。初見の人もいるわけだから、どういうつもりでこんなリリース直前にこの動画を上げたのか、いぶかる向きもわかるけどね。そして、ボカロシーンへの傾倒、愛情の大きさで測れば彼があの場所でああやって曲を投下する資格があるかどうかは言うまでもなく明白なわけで、それを抜きにして表面的な印象で彼がプロの世界の「敵」なのかアマチュアなのかなんて、本当にどうでも良いことだと自分なんかは思うのだが、友人に肩入れしすぎかな?

 とはいえ、そういうプロ批判なり違和感なりというものは、どんどん素直に表出されていけばいいと思う。新しいことには、違和感はつきもの。そうやって議論がおこれば少しずつ世論が醸成、形成されていき、時代は変わっていく。そのための一石となればいいんじゃないかな。これで叩かれて潰されてしまえばおしまいだが、おしまいかどうかは観た人それぞれの心のなかにある音楽の神様が決めることだ。

 少なくとも彼の純粋なきもちに(佐藤「純一」なだけに)共感しているつもりになっている自分にとっては、もはや客観的な物言いはできないと思うしね。

【初音ミク】Cipher サイファ【FLEET】【オリジナル】

2010年12月 4日 (土)

ボカロシーンとバンドシーンの間 その2

 だいぶ間があいてしまったが。前回の続き。その1はこちら

 バンドシーンとボカロシーンの間には何があるのかについて、そこにはキャラクターが先行して尻込みしてしまうという状況があること、加えてボーカロイドの技術的限界があること。この二つがバンドマンから見てボカロを食わず嫌いにさせている原因なのではないか、と、前回は述べた。

 そして、ボカロ文化はもっと外に開かれたほうがいいとも書いた。今回はこのことについてもうちょっと説明したい。


「負い目」が存在するわけ


 Ust対談をしている中で、終了後ボカロPさんの発言の中で、心に引っかかった言葉があった。「負い目」という言葉。バンドマンだった人が、ボカロPとしてボカロの世界に入ろうとするときに、「負い目」を感じることがあるらしい、という話。その時どういう反応をしたか忘れてしまったが、あとあと考えてみると、そこに最も重要な問題があると思った。

 プロを目指しているバンドマンというのは、99%メジャーの世界を夢見るものだ。そこで稼げている人が正真正銘の「プロ」であるという、まあ確かにそうなんだが、ある意味では一義的な観念。そしてそういう観念をもった人から見て、ボカロシーンというのは「同人」でしかない。そんな見方をする世界で頑張っていた人間が、ボーマスでCDが何千何万と売れるという話を聞いても、「そうはいってもなあ〜」という気持ちがどこかにあるのだ。それは以前挙げた二つの「壁」が要因となって起こる「偏見」でしかない。

 そんな偏見は無視すればいい、という意見はたしかに正しい。音楽で生きていきたいと思う人は、どこの世界であろうと音楽でご飯が食べられれば胸張ってよいはず(他の仕事をしつつ音楽制作を楽しみたいという人も当然いる。いろんな立場の人々がフラットに共存できるのがボカロシーンのいいところ)。しかし、現実に音楽人に「負い目」を感じさせてしまう状況が存在する以上、それを取っ払うために何か処方が必要だ。そもそもちょっと聴きかじっただけでもプロ顔負けの楽曲たちが存在している状況なのに、「外」の無理解によってあまりにも過小評価されすぎていると思う。

 そうした偏見は外側の個人、バンドシーン、ひいては既存の音楽業界の無理解に由来する(だからあからさまな盗作騒動なんかが起こる)。これはバンドシーンにおける問題というだけでなく、ボカロシーンの外側全体における問題だ。その1で僕は「ボカロシーンが開かれていない」と言ったが、それは「ボカロシーンが理解されていない」と同義。その問題はボカロシーンの「中」にあるというより、「外」にある。


これから


 ではそうした偏見はどうやって破れば良いのかというと、やっぱり「曲」だと思う。曲より初音ミクというキャラが先行して見えている現状。それとは正反対の、キャラより先に外界の耳に届くほどにブレイクした「神曲」が生まれるかどうか。そうなれば、その曲が風船に刺さる針の役割を果たし、従来の「ミクだから来ました〜」ではなく「この曲聴きたいから来ました〜」と、ボカロ界へ大量の移民が入ってくることになると思う。聴いてみれば、その深遠な世界に触れてみれば見方も変わるだろう。そうして多様な人々が入ってきて、ボカロシーンをもっと多様なものにしていくと思う。これで第一の壁「キャラの先行」が崩れる。

 そして第二の壁「技術的限界」。技術面の解決は時間の問題だと思うし、生身の人間にはかなわないボーカロイドの現状においても、そんなこと問題にならないくらいの「曲」が現れて人々の耳に馴染んでいくのがボカロ相対化の一番の近道だ。ボカロはボカロなりの面白さがある。みんながボカロを生身の人間と同じ地平でとらえる「一つのツール」としてふつうに使うようになれば、「たかが機械が」みたいな発言も影を潜めるはずだ。そうなったとき、「ボカロ」の文化が局所的な盛り上がりではなく、はじめて「音楽界全体に根付いた」と言えるのではないか。

 ボカロシーンはまだ発展途上。しかしそれが熱を帯びていけば、かならずどこかでブレイクスルーが起きる。もしかするとその時、今の「中」の世界の心地良さは変質するかも知れないが、純粋に「中」や「外」で音楽をつくっている人々や、彼らの生み出す音楽のことを考えれば、そっちの方があるべき姿だと思う。壁を取り払ったときに、音楽は進化する。ロックが白人音楽と黒人音楽の融合によって生まれたように。

 以上がUST対談で思ったことでした。


おまけ


 ボカロシーンには大人の事情とか、会社の力関係とか、容姿とか、そういった音楽以外の要素ではなく単純に「曲の良さ」で公平に判断されるシステムがある。そしてそこそこの曲を作れば結構な人が聴いてくれるし、たくさんコメントが付いてくる。みんなに聴かれている実感が得やすい。この魅力的な世界のモデルが、もっと偏見なく広まってもいいんじゃないかな、とも思う。


てん屋大好き。

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2010年11月30日 (火)

ボカロシーンとバンドシーンの間 その1

 土曜日の夜にUSTをやってきた。

 初対面のP(ボーカロイド作家)さんたちとバンドをやってきた者としての座談会。話してて一番思ったのは、双方にそんなに違いはないということ。DTMで曲を作っているし、ドラムソフトは同じBFD2だった。たまたま音楽作りたくて発信するツールがニコニコ+ミクだったかバンド形式だったかの違い。そこにFLEET佐藤さんは気づいて今回の座談会を企画したのだろう。


結局間にあるものとはなんなのか


 じゃあ今回のタイトル通り、「ボカロシーンとバンドシーンの間」を隔てているものというのは何かというと、分かりきったことだが、初音ミクという強力なキャラクターによるところが大きい。ボカロシーンにおいては、「ニコニコ動画」のなかで、「ミクが歌っているから」というのをきっかけにボカロPの曲を聴く。一方バンドシーンの人々(含めボカロシーンの「外側」の人々)は「ニコニコ」「ミク」という時点で、「ああ、あれね」とひとくくりにしてしまう。かくいう自分もなかなか踏み出せていなかった者の一人だ。

 さて、このミクというだけで「ああ、あれね」となってしまうのはぜなのか、座談会を経て自分の考えを整理できた気がする。そこには大きく分けて二つの側面がある。


1. キャラクターが楽曲に先行している


 一つめは、外側の人にとって、数万あると言われる膨大な曲群よりもキャラのほうが先に見えてしまうため、そのキャラに興味のない人は足を止めてしまう、ということ。

 音楽がすきなだけであってアニメキャラに興味がないか、抵抗のある人は入っていけない。逆にいうと、シーンの外側の人間まで知っているシーンの「代表曲」がまだない、ともいえる。キャラ以前にその曲に触れていれば、その曲をきっかけにしてボカロに触れてみようと思う人もふえるはずだ。「Supercellがあるじゃん」という意見もあるだろうが、正直あれは内輪の盛り上がりをメジャーが取り上げて、その内輪だけであれだけの数字をたたき出してしまった、という印象(今は、昔よりオリコンチャート上位になるハードルも格段に下がっている)。外の人の目に止まる機会を作ったとは言えるが、誰もが知っている曲を提供したとまでは言えない。そういう意味で、今盛り上がっているボカロシーンは、いまだクライマックスを迎えていないと思う。


2. ボカロソフトの技術的限界


 二つめは、「初音ミク」というボーカロイドソフトの技術的な限界。

 現状では、初音ミクは生身の人間の歌をシミュレーションしたものだが、やはりまだ不完全で、その不完全さを薄めるために「調教」が必要。生身の人間の息遣いにはかなわない。初音ミクのおかげでたくさんの才能が世に出たわけだから、彼女を否定しているわけでは全くないよ。ただ、バンドをやっている人たちは自分で歌いたい、もしくはだれか生身の人間に歌ってもらいたいと思っていて、初音ミクはそこに選択肢として現れない分、それへの興味もわかないのだ。

 もっとも、将来的にはどんどん本物の歌に近づいていくだろう。実際、ドラムソフトのBFDなんかは某メジャーアーティストの「打ち込みでない【生のバンドサウンド】」のトラックに使われたりしている。ボーカルよりもドラムのほうが生き物じゃない分、当然シミュレーションしやすいわけだ。ボカロが生身と肩を並べてもおかしくないし、悪いとも思わない。視覚的な意味で、実写の映画を観るか、アニメの映画を観るかの違いのようなものだ。

 しかし、現状はミクは生身の人間に及ばない。つまりこの二つめの側面においても、ボカロシーンはいまだクライマックスを迎えていないと思う。


ボカロ文化はもっと外に開かれたものになるべきだ


 以上の二つをどうにか克服すれば、ボカロ文化の高い城壁がなくなってより外に開かれたものになるのではないか、と思う。特に、前者の解決が重要かな。後者はクリプトンさん他を応援するほかないし、いつか解決するし、次回以降の話を読んでもらえれば分かると思うがそこまで致命的な問題とも思っていない。

 さてここで、なぜ外に開かれないといけないのか、べつに今のままで何がいけないのか、という声が聞こえてきそうである。他の家のことに口をだす隣人のような構図なので、まあたしかに自分が言えた義理ではないのかも知れない。が、それでも、「ボカロ文化はもっと外に開かれたものになるべきだ」と圧倒的に思っている。座談会でのPさんたちとの交流を通してその考えはより強まった。それについてはまた次回。

 いただいたボカロPさんたちのCDを聴きながら書いている。マジでいい。邦楽のメジャーシーンよりずっと自由だ。


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